(馬鹿野郎!)リコーマイクロエレクトロニクス


鳥取市の誘致企業リコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿





1993年問題発生直後ケニアで撮影
日焼けして黒人化している



管理人 米村 メール


1993年、僕は鳥取市のテスコという工場で夜勤専属工員をしていた。テスコのM社長から嫌がらせを連呼され、クビになった。

あとでM社長から「社員にしてくれなかったことを恨んでリコーに報復したのか?」と心当たりのないことを聞かれた。

この3年前、僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。

どうも「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」という噂(話)をデッチ上げられクビになったらしい。

全く馬鹿馬鹿しい人権侵害だ。

閉鎖的な田舎で掟破りのような事をしていたから、魔女狩りまがいの目にあったのではないか?

もちろんリコーマイクロエレクトロニクスが組織ぐるみでした とは思っていない。

リコーマイクロエレクトロニクスはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害を弁護士までつけて揉み消し。

弁護士は、経営者側の弁護士として有名な東京の石嵜信憲法律事務所(host-a002.ishizaki-law-office.gr.jp )の弁護士。

この問題は狭い鳥取市である程度噂が広がっているようだが、地元で「大会社」と言われるリコーマイクロエレクトロニクスが揉み消しているせいか誰もはっきりとは事情を教えてくれない。隠し事をされると気分が悪くなるものだ。


2000年4月、この問題を書いたホームページを作った。2004年頃前後、「リコーマイクロエレクトロニクス」Yahoo検索結果に「疑惑のリコーマイクロエレクトロニクス」のTOP表示が総計2年位続いた。それでもリコーマイクロエレクトロニクスは黙っていた。地元では人気企業だから就職希望者が「リコーマイクロエレクトロニクス」を検索するだろう。

実際、「リコーマイクロエレクトロニクスに就職して大丈夫でしょうか?」という趣旨のメールが何度か届いた。



意味不明の訳の分からない噂だが、憶測でこうなった事情を書いた。


リコーマイクロエレクトロニクスは地元政財界が、東京のリコー本社に懸命な嘆願をして進出が決まった誘致企業だそうだ。

1988年、リコーマイクロエレクトロニクスは鳥取市で操業を開始した。12時間労働3勤4日制だった。多くの週刊誌は12時間労働には触れず「週休4日制」と報道した。当時あまり週休2日制も定着していなかったので週休4日制報道は衝撃的だったはずある。

当初は「週休4日制の会社出現!」などと報じられていたが、「12時間労働が実態」と非難する記事も現れてきた。週刊誌の報道にリコーマイクロエレクトロニクスも困惑しただろう。当時週休2制もあまり定着していなかったようだ。1週間に2日どころか4日も休日があるという報道は後ろめたかっただろう。ましてや地方都市の会社である。週刊誌の過剰報道でリコーマイクロエレクトロニクスの心理に異常が発生したのでは?

1989年8月頃、僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。操業1年以上も経っているのに写真週刊誌『FRYDAY』の取材陣達が写真一枚撮るのにわざわざ鳥取に来た。そしてリコーマイクロエレクトロニクスの週休4日制は『FRYDAY』で大きく紹介された。

僕は自宅から6キロの距離を自転車で通勤した。当時バブル景気の最中だった。鳥取市では若い男が自転車で通勤する風潮はなかった。心理学でいう「同調行動」が作用したようだ。若い男が自転車で通勤すると変人扱いされることもあった。鳥取市郊外のリコーマイクロエレクトロニクスではなおさらそうだったようだ。自転車通勤で社内の一部の社員からヒンシュクを買っていた。この僕の常識外れの行動もあとあと問題になったのでは? ただ通勤官庁街は例外で自転車通勤者が多かった。この風潮は日本の地方都市は同じだったようだ。群馬大学助教授の山西哲郎が「群馬で自転車に乗っているのは私だけだろう。群馬で自転車に乗っていると異常者扱いされる」と愚痴をこぼしていた。 

1990年1月頃、雪がかなり降り自転車で通勤できなかった。そこで僕はジョギングで通勤した。普段からジョギングをしているのでそんなにきつくなかった。車社会で車ばかり乗っている人は驚いたらしい。さらにヒンシュクを買ってしまったが、ジョギング通勤せいでリコーマイクロエレクトロニクスは僕を社員にしようとしたようだ。

2月、インドに行くと行ってリコーマイクロエレクトロニクスを辞めた。辞めた翌日自宅に手相見がやってきた。父親の手相から息子の僕の単独海外旅行と単独行動を言い当て、「先祖の祟りだから」と言い、100万円近い数珠を買うように。単独行動とは車を持たず自転車通勤していることだろう。自転車通勤が先祖の祟りとは・・・ 当時行き過ぎた車社会だったから、みんなと違うことをしていたから勧めたのだろう。僕の行動を異常とみなし「先祖の祟り」と言ったのだろう。あらかじめ僕の言動を調べた霊感商法だろう。

5月、インドから帰るとリコーマイクロエレクトロニクスから「また来い」と電話がかかってきた。再びリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。7月25日に富士登山競争がある。出場のため猛練習をした。練習疲れでアルバイトを休みがちになった。7月20日頃、総務のIさんから「休みが多い!」と激怒された。しかし僕は時給600円のアルバイトなどどうでもよかった。現場の上司は僕の勤務態度不良に言及し「社会人になるのを拒否している感じだ」と言った。リコーマイクロエレクトロニクスは僕を社員にしようとしていたからこんなことを言ったのだろう。その後富士登山出場競争のため休暇申請をしたら断られたので辞めた。辞める時、現場の上司から「仕事はどうするつもりなんだ?」と聞かれた。「仕事ならいくらでもあります」と言ったら「君は普通のお兄ちゃんじゃないだけー、いいところに就職せんといけんがなー」と言われた。僕は「日本一の馬鹿高校」と言われていた鳥取城北高校の出身だ。城北高校のTOPクラスだったが授業のレベルが低く、勉強をする雰囲気ではなかった。高校の体制は無視し独学で大学受験の勉強をした。大学受験は失敗したが、同志社・立命館程度で馬鹿高校創立以来最も偏差値の高い大学に合格した。高校の時の素行がリコーマイクロエレクトロニクスに伝わっていたのだろう。鳥取市は狭い町だから噂が伝わりやすいのだ。高校の時の素行もあとあと問題になったのでは?

その後、シルクロード横断をし世界一周コースで日本に帰って来た。当時鳥取市では定職にも就かず海外を放浪するのは許されないことだったのでは? こんなことも問題発生の一因になったのでは?

1991年4月頃、テスコという工場の夜勤専属工員になった。テスコは鳥取最大の工場・鳥取三洋(現・三洋電機コンシューマエレクトロニクス)の構内にあった。あまり人づき合いのない生活が1年半続いた。余暇は近所の山を走ったり、図書館で過ごした。過去目立った生活をしていたのに目立たない生活をしていた。「目立つ事をしていた人が急に消えればデマが発生しやすい」と社会心理学の本で読んだ。仕事は1日も休まずに続けていた。

1993年11月、テスコの夜勤から鳥取三洋の昼の仕事に替えられた。周囲の様子がおかしかったのでテスコのM社長に夜勤への変更を頼んだ。M社長は拒否し、「ひとりぼっちが寂しくって、仲間はずれが悲しくって」を呪文を唱えるように3回繰り返して言った。人づき合いのない生活を送っている僕に対する嫌がらせのつもりだろう。社長から嫌がらせを言われては辞めざるを得ない。テスコに辞めるよう電話をかけた。なぜか三洋の管理職のKさんが電話に出た。「辞めさせてもらいたいのですが」「はい。どーぞ」。あっさり元請けの鳥取最大の工場・鳥取三洋からクビになった。

テスコに健康保険証を返しに行った。M社長と話した。「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」というおかしな噂が伝わっていた。リコーマイクロエレクトロニクスではアルバイトをサボり「休みが多い」と激怒されクビ同然で辞めたが、テスコでは仕事を休まずに真面目に働いているのが報復になった という非現実的な論理だった。常識以外に哲学を持っていない人は、他人が言ったことを真に受けやすいのである。とにかく僕が休まずに働いて、リコーに報復したという噂でクビになったらしい。おかしなことがあるものだ。

その後、M社長から泣きそうな声で雇用保険の書類を取りに来るよう電話がかかって来た。噂は嘘だと知って後悔したのだろう。

冒頭に書いたようにリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」で週刊誌で騒がれた会社だ。つまり休みが多いことに負い目を感じて、こんなおかしな噂が発生したのではないだろうか? 「僕が仕事を休まないのはリコーマイクロエレクトロニクスに対する報復」という噂。